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いつもの夏の“特別”な日 [Column]

 夏になると「熱風ライブ」が観たくなる。

 「威風堂々」をバックに登場し、「ひとり咲き」へとつながるオープニング。続く、熱唱系。骨太なバンドサウンドに、重なる力強い歌声。まさに、熱い喉が衝き叫ぶ。

 後半の「魅惑」「棘」から「Love Affair」「南十字星」と続く、“歌い倒す”セットリストは、たまらない。

 チャゲアスの魅力は数あれど、何よりこの、歌で圧倒させる、ライブ後半の熱唱の畳み掛けこそ、その最たるものである。

 NOT AT ALLツアーなら「HOTEL」「higher ground」「YAH YAH YAH」、THE LIVEなら「YAH YAH YAH」から「なぜに君は帰らない」「港に潜んだ潜水艇」、DOUBLEなら「GUYS」「Sea of Gray」から「YAH YAH YAH」、さらには「can do now」までの流れ。アコースティックのalive in liveでも、「One Day」「higher ground」「RED HILL」の流れは圧巻である。

 ASKAソロでも同じような構成が組まれるが、やはりC&Aのライブは特別だ。

 今改めて観て、強くそう思う。


 8.25――。

 C&Aファンにとっては、特別な日だ。自分の誕生日のように、気になる記念日である。

 今年はASKAのブログが、テレビのワイドショー系番組でも取り上げられ、話題となった。内容の“おかしな”様子がクスリによる後遺症といったイメージと絡めて取り上げられているが、とりわけユーモアたっぷりの“ぶっ飛んだ”文章は、ASKAの元々のイメージからも乖離があり、面白おかしく捉えられているようだ。ファンにとっては、ライブのMCなどを通してよく知っている、“元々”のASKAの姿が垣間見られるのだが。つくづくマスメディアによって、作られていく人たちなんだなと思う。

 とはいえ、われわれも、彼らを知ったのは、マスメディアがきっかけだった。いろんなファンのなり方があろうが、「SAY YES」に始まる、いわゆる“全盛期”に彼らを知った者にとって、マスメディアの存在は大きく、一方的に否定することはできない。たとえ当時、歌番組でほとんど「SAY YES」が歌われなかった(出演じたい、ほぼしていなかった)事実があったとしても。

 彼らはマスメディアの時代の人たちだった。「アーティスト」や「ミュージシャン」と呼ばれながらも、やはり“芸能人”だった。以前も書いたが、だからこそ、あれだけの騒ぎになった。他のアーティストやミュージシャンと呼ばれる人たちと比べても、やはり“特別”だった。

 と同時に、彼らはいち早くインターネットを取り入れた人たちでもあった。来たるべきインターネット時代を先取りし、日本人アーティストの中でも、最も早い時期に公式ホームページを開設している。それもロンドンを発信拠点として。それまでにも数々の先駆的な活動をしてきた彼らならではの動きであるが、そのことがファン以外にはあまりにも知られていない状況は、過去の類例に等しく、彼ららしい。今思えば、もっと早くに活動のベースをネットに移していても良かったのかもしれない。

 結果として、ASKAは、ブログというかたちでインターネットにおいて“活動”を始め、それがテレビやスポーツ紙といったマスメディアによって注目されることになった。ネット時代にマスメディアの時代の人が、ネットのことでマスメディアに取り上げられる、とは何とも皮肉なことではある。

 いろんな批評がなされるだろうが、ここはひとつ静観し、推移を見守っておきたい。一ファンとして。


 特別な日に、特別なことをせず、今まで通りの“特別”な彼らに、いつものように熱いまなざしを向けるのが、いつもの“特別”なファンの姿。

 さて、今日はどのライブ映像を観て、熱くなろうか。


 熱風吹き荒れる酷暑の2016年夏

C&A 36周年!だから…Chageの18曲 [Column]

2015年8月25日、九州に大型台風上陸か?!

そんな本日は、CHAGE and ASKA デビュー36周年!

ということで、特別企画・Chageの18曲!

普通なら「36」にちなんでC&Aの36曲を選ぶ、となるところを、ここはあえて…Chageの18曲を選曲!残りの18曲は、選ばずに置いておく。私たちはあくまでも“C&Aファン”なので。

ということで、今や手に入らなくなったC&A名義の曲を中心に、Chageに今改めて歌い直して“手に取れる楽曲”にして欲しい曲。そんな想いで、Chageの楽曲をよく知らない人にも入門的な、“これぞChage”という代表的な18曲を順不同に並べてみた。

 終章(エピローグ) ※
 ロマンシングヤード ※
 NとLの野球帽
 SOME DAY ※
 告白 ※
 CATCH&RELEASE
 CRIMSON
 ベンチ
 夏の終わり
 vision
 夢の飛礫
 夢
 港に潜んだ潜水艇
 今日は…こんなに元気です
 君はなにも知らないまま
 嘘 ※
 Here&There
 Wasting Time

…とC&Aの名義の曲で割とメジャーな曲・ソロでも歌ってる曲を中心に選んでいくと、早くも18曲を超えてしまった…。

(※はChage名義で再収録され入手可能な楽曲。逆に言うと、※のない曲は入手不能)

他にも「two of us」とか「ふたりなら」とか「ボクラのカケラ」とか、今だからこそ歌って欲しいキーワードの入った楽曲もいろいろあって、どれも捨てがたいというのが正直なところ。『DOUBLE』収録のCHAGE曲なんて、全部挙げたいぐらい。

「アジアンレストランにて」とか「swear」とかマイナーロックの曲も個人的に好みで、「Wasting Time」はごり押しで入れた。

セルフカバーのおかげで日の目を浴びた曲も、結果として“お蔵入り”になってしまっているので、楽曲たちのためにも、もう一度録り直して、聴ける状態にして欲しい。(それが最良の方法とは思わないけれども、それが手に取る機会を与える現状でのベストな選択なら、そうして欲しい。現状では、せっかくChageを知ろうと思っても聞けない曲が多数あるので)

…というC&Aのファンの声を分かっているのか、そうせざるを得ないのか、ちょうど今度発売されるChageのミニアルバム『hurray!』には、90年代のライブではおなじみの「ロマンシングヤード」がセルフカバーされて収録されている!

この調子で、ぜひ他の楽曲も! 『12』のChage版を!

ということで、今回は36周年にあわせて、Chageを代表する18曲を選曲。初期の頃の曲やソロやマルチも入れたら、Chageだけで36曲選べそうだけど、ここはあえてもう一人分を残して…Chageの18曲。

こんな日にあわせるように、日本には“ダブル台風”が接近。

私たちのもとに奴等が“上陸”する日を、密かに待ちながら。

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いま改めて――広がる音楽的評価 [Column]

 ASKAの逮捕からもうすぐ8ヵ月が経とうとしている。彼を信じていたファンは奈落の底に突き落とされた気分で、絶望を味わったことだろうが、ファンから少し離れたところでは、徐々に彼らの楽曲に対する冷静な評価がされるようになってきている。良くも悪くも、騒動になり、注目されたことで、彼らの楽曲にも目を向けられることになった。ラジオ等を通しても、現役のミュージシャンが玄人目線で評価するようになってきている。そのことはこのブログでも随時紹介しているとおりである。

 何とも皮肉なことであるが、CHAGE and ASKAの楽曲は、今まであまり真っ当な音楽的評価に晒されてこなかった。その理由はいくつかあるが、少なくともASKAの逮捕・起訴によって、彼らに与えられていた特異な“イメージ”が解かれ、ある意味で純粋に“音楽”として聴かれるようになったわけである。

 楽曲の良さはもとより、コード進行や曲の構成、アレンジ等の先進性や、楽器の選択や歌唱法等の細部に至るまでのこだわり、あるいは制作サイドから見える野心などが、“音楽的に”評価されるようになった。実際、先に紹介したラジオでは、「SAY YES」などの大ヒット曲も、一楽曲として、その複雑なコード進行などが分析的な視点で評価されている。

 そんな状況にファンは喜びを得るが、一方で疑問もわき起こる。なぜC&Aの楽曲は、十分な音楽的評価をされこなかったのだろうか、と。その答えの一つとして考えられるのが、彼らも一時期インタビュー等で発言していた「イメージのダメージ」であろう。「SAY YES」「YAH YAH YAH」で大ヒットしてしまったがゆえの宿命とも言える。

 「SAY YES」の発売当時は、テレビにはほとんど出演していなかったが、“イメージ”の中では「テレビの人」となってしまい、それ以前にも「夜のヒットスタジオ」等でアイドル歌手と並んで歌っていた“イメージ”から、「芸能人」として扱われることとなる。昨年あれだけワイドショーが騒いだのも、ASKAが「ミュージシャン」ではなく、「芸能人」だったからだろう。(同じ「ミュージシャン」の岡村靖幸は、「ミュージシャン」以上の扱いはされないため、そこまで騒がれず、今もなお音楽的に高く評価されている。)

 「芸能人」ゆえに、バンドブーム以降のテレビに出ないタイプの“ミュージシャン”からは、あまり好かれず、音楽的な評価はされない。ユニコーンや斉藤和義、あるいはクドカンらが、逮捕時にライブでASKAを茶化したのも、そういった背景があってのものだろう。

 もちろん大ヒットにより大衆的な人気を得てしまったことも大きい。音楽性が少しでも変わるとファンは離れてしまう。結果的に、いわゆる「全盛期」以降の楽曲はあまり知られていない状態になっている。とりわけC&Aの場合は、意識的に異なるタイプの楽曲に移行していった。それを善しとするファンのみが、残ることとなったわけである。

 ただ、そのファンも、大衆的なヒット曲を入口にしたファンが多く、音楽に精通しているわけではない。「C&Aが好き」という理由でファンを続ける人が大半を占める。それゆえ、音楽的な評価をする「言語」を持たず、ローカルな場面(ファンコミュニティ)でもそれを展開することはできなかった。

 にもかかわらず、C&Aは変わり続け、新しいものを生み出し続ける。音楽的なこだわりもさらに強くなり、過去のヒット曲のおかげで経済的にも余裕のある環境で楽曲制作を行うことから、質は決して落ちない。十分音楽的に評価されるに値する楽曲を世に放ちながら、大衆的にも音楽通にも注目されず、ファンも自分たちの言語で音楽を語れないもどかしさを抱えながら、彼らを信じてファンを続けてきた。

 そして、あの一件。打ちひしがれた感にあるなかで、ようやくいまになって音楽的な評価がされ始める。実に皮肉である。

 先のラジオにもあった“ぶっ飛んでる”という表現には多少の嘲笑も含まれてはいるが、それを差し引いてもなお、ミュージシャンとしての楽曲に対する純粋なリスペクトがうかがえる。やはり楽曲は依然として一目置いた存在なのである。

 「楽曲に罪はない」どころか、ASKAの楽曲は実に罪深い。もっと質の低い楽曲なら、あの一件で葬り去られているはずなのに。あんなことをした。それでもなお評価せざるを得ない――。そんな楽曲を残した罪は非常に重い。彼には、もう一度、ファンにも玄人にも大衆にも評価されるような、質の高い楽曲を作る使命がある。それが彼のなすべき罪の償いだろう。

 依然楽曲の流通が制限されたなかで、今後もこの「楽曲への再評価」の動きが広がることを期待して稿を閉じる。

ASKAの判決公判を受けて [Column]

ようやく一段落といった感じ。

今日から彼は「容疑者」でも「被告人」でもなくなった。
執行猶予なので「受刑者」でもないし、あえて言うなら「執行猶予人」?

刑が確定した以上、これ以上の社会的制裁は不要なので、彼がこれまでに作った楽曲は放送されてもいいはずだし、販売も解禁されていいはず。でも、現実には、批判や風評被害を嫌う企業も多く、なかなか簡単には動かないというのが実状だろう。

今回の件で、いろいろ思うところはあるし、いろいろ考えさせられもした。
「いろいろ」の中身をすべて書いていくと切りがない。ここでは次の一点のみにとどめておく。

一ファンとして願うこと。

それは、多くの人が、彼の音楽を“正常に”聴く機会が得られること。

もちろん個人的な心情から、彼の曲を聴く気になれない人もいるだろう。そんなに人にとっては、もう少し時間が必要かもしれない。

ただ、すべての機会を奪う必要はないと思う。

Chageのシングル『永い一日』やMULTI MAXのDVDのように、公式サイトのネット通販を使って限定発売するぐらいなら構わないのではないか。あるいはネット配信でもいい。

前にも書いたように、販売によって得られる本人の収益は、薬物撲滅活動や慈善事業に使うなどの制約を掛ければ、これまでの楽曲は社会の役に立つものとして“活用”できる。

そうすれば、これまで彼の楽曲を聴いて感動したり、救われたりした人たちの経験も、否定されずに済む。

当然、彼にはしっかり罪を償ってもらい、二度と同じ過ちを繰り返さないということに尽きる。

でも、それは彼にすべて委ねられていること。われわれファンにはどうすることもできない。冷たいようだけど、彼が全責任を負って、「治療」を続けるしかない。

ファンにできることと言えば、彼のこれまでの楽曲を、彼の過ちと切り離して、再評価すること。それが社会のためになるなら、いま抵抗のある人も、胸を張って彼の楽曲を聴き直せるかもしれない。

本人が歌うのがダメなら、他のアーティストによるカバーでも良い。

決して早期の復帰を望むものではない。彼の犯した罪は重い。「治療」にもまだまだ時間を要する。

けれども、過去の作品まで“封印”する必要はないだろうということ。

元・所属事務所も、何かそういう機会を考えてみてはどうだろうか。彼の楽曲を愛してきたファンのためにも。

ASKAの逮捕を受けて(2) [Column]

 5月19日、逮捕から2日後、最初のウィークデイ。早速、所属事務所とレコード会社は、ASKAおよびC&A名義のCD・DVD等の「販売中止」と「回収」の措置を執った。所属のユニバーサルミュージックとは契約が解除され、営利企業のコンプライアンスとやらを、ここ見たかに見せつけられた。

 他方で勢いを増したのが、中古市場。Amazonのマーケットプレイスでは、ASKA関連商品の異常な価格高騰が起こった。たとえば、全盛期のライブの模様を収めた『夢の番人』のBlu-rayは、小売価格が5800円+税だったものが、12万円以上にまで高騰していた。安いものでも3~4万円台はざらで、どの商品もいわゆる転売業者の思うつぼというような異常な値を付けていた。

 そうした“異常”な価格は、経済の需要と供給のバランスのとおりで、供給が一気に消えたことと、需要が一気に増したことが同時に起こり、そのような事態になった。

 というのも、逮捕後、「販売中止」が発表される前日までに、すでに“駆け込み需要”が加速度を増していた。iTunes Storeではランキング10位以内にC&Aの楽曲が数曲入るという“快挙”が起こり、AmazonでもC&Aのベスト盤が、AKBや嵐やEXILEと並んでランキング上位に位置していた。

 皮肉にも、連日ニュースやワイドショーでASKAが取り上げられ、C&Aの過去の楽曲がBGMとして使われることで、C&Aを知らない世代にまで認知が進み、改めて聴くと「良い曲が多い」と、再評価されるようにさえなっていたのである。結果、ワンクリックで買えるネットショップやダウンロードサイトでは、売上が急速に増したということである。

 そのことと併せて、ネット上はもとより、テレビのコメンテーターらも、この「販売中止」という措置に対して、疑問視をする意見が出てきた。いくら作者が違法行為をしたとは言え、「作品には罪がない」のではないか、というものだ。

 これについては、自分がファンであるということを差し引いても、同意見である。

 結局のところ、「コンプライアンス」という名のもとに、消費者からのクレームや批判を恐れ、それから逃れるために、言わば「トカゲのしっぽ切り」のように、自分たちには関係ないものとして切り棄てた、ということだろう。もちろんレコード会社も営利企業である。犯罪者の作品を売ることや、それによって犯罪者に「印税」というかたちで、金銭が渡ることへの懸念もあるだろう。とりわけ今回は、薬物所持および使用の容疑と、それにまつわる反社会的勢力との交際の疑惑もある。営利企業にとっては、当然の判断なのかもしれない。

 しかし、それもやり方次第ではないだろうか。たとえば印税(著作権料)収入を、同じ薬物依存症者の更正施設や支援団体などに寄付するとか、ASKAの懐に入る前に、JASRACを通じてそういった措置を執ることなどは、できないものだろうか。

 とりわけ(出版権を持つ)所属事務所は、ずっと付き合ってきた“仲間”でもあるはずだ。レコード会社と同じように単に切り棄てて済ませるのではなく、ASKAの今後のため、さらにはこれまでのASKAの作品を無駄にしないためにも、そういった社会正義に則った“活用”のあり方を考えるべきではないだろうか。

 そんなことは営利企業のすることではないと言うのなら、NPOを立ち上げて、ASKAと一緒になって薬物撲滅運動を行なっていくなど、方法はいくらでもあるはずだ。むしろそのほうが、今後の彼にとっても、さらには今後業界内で同じようなケースが起きたときのためにも、良い効果が生まれるのではないだろうか。

 何ならすでにASKAはそんな音楽作品(商品)の活用方法を知っているではないか。ASKAは2013年に『僕にできること』というカバーアルバムを発売し、その個人収益を「SAVE THE CHILDREN」を通じて、東日本大震災の復興支援に寄付するという活動を行なっている。震災から時間が経過し、もう義援金など誰も言わなくなった時期にやるからこそ意味があると、彼は熱い想いで行なっていたはずだ。

 同じ想いを持って、同じ方法で、薬物依存からの脱却を支援してはどうだろうか。ASKAのCDやDVDなどを購入することで、薬物依存に苦しむ人の脱却の支えになる。購入者はそんな想いを持って買わなくとも、結果として、そういった人たちを救うことができる。そんなツールとして、ASKAのこれまでの作品を活かしてみてはどうだろうか。出版権を持っている所属事務所だからこそ、できることだと思うのだが。

 何でもそうだが、切り棄てることで責任を取るというのは、結局は責任逃れでしかない。そんな責任の取り方ではなく、ちゃんと当人と向き合って責任を取って欲しい。

 決して彼の行いを許すのではない。罪は罪として償わなければならない。しかし、切り棄てていては、救われない。また同じ過ちを繰り返すことにも繋がる。決して彼を擁護するのではなく、彼の過ちをきっかけに、彼の作品を活かすかたちで、彼を支えてきた責任を果たしてほしいように思う。

 一ファンとしての願いである。

ASKAの逮捕を受けて(1) [Column]

 5月17日午前11時半ごろ、ニュース速報によって、「ASKA逮捕」の情報が伝えられる。覚醒剤所持の疑い。われわれファンは大いにショックを受けた。“事件”から1週間。ファンサイトの管理者として、一ファンの率直な思いを書き記しておきたい。


 ただただ残念としか言えない。違法行為をした者を擁護する気になどなれない。かと言って、彼のすべてを否定することもできない。とりわけ彼の作った作品を、今回の“事件”にこじつけて否定することなどできない。われわれは、彼の作品にこそ魅了されてきたからだ。

 ファンの置かれた立場とその心境は実に複雑である。報道がされるたびにその度合いは増していく。

 「ASKAサンを信じてずっと待っていまーす」とも言えないし、「ASKAのバカヤロー!二度と聞くか」とも言えない。何ともやりきれない気持ちを抱えたまま、1週間が過ぎた。

 週刊誌が報じた情報をもとに、スポーツ新聞の記事が書かれ、それをテレビが紹介する。テレビのワイドショーは、彼の発表したこれまでの楽曲や活動、言動などを紹介しながら、彼が薬物に手を出した理由を憶測する。そのパターンはこうだ。

 (1) ヒットが出ないことへの焦り。(2) 作曲の行き詰まり。(3) 韓国公演の失敗と事務所の倒産。90年代、時代のスターダムにのし上がり、その後いかに落ちぶれていったかを物語化する。その落ちぶれと薬物依存を結びつけ、手に負えないヤツとして、とどめを刺す。

 「SAY YES」「YAH YAH YAH」以降、ろくに取り上げてこなかったテレビが、さもその後もずっと密着してきたかのような語り口で、その落ちぶれ過程を描き出す。ファンにとっては、そうしたテレビの態度に、怒りさえ沸き起こる。次々と明るみになる薬物依存の状況に動揺すると同時に、テロップの誤記や、年代などの事実関係の間違いに対して「そこ、違う!」とツッコミを入れたり、「物語」はこうして作られていくのかと感心したりするなど、ファンゆえに冷静な自分もいたりする。(C&Aが中学の同級生という誤情報をはじめ、ひどいところは、ASKAの作った曲と紹介しながら、「作詞:CHAGE」になっているという、とんでもない間違いのまま堂々と放送する局もあった。)

 何が原因なのかは本人にしか分からないし、おそらく今の彼に語らせたところで、それが本当の原因なのかはもはや分からない。今の彼にとって、あるいは取調官にとって、腑に落ちる(説明のための)動機として語られるものでしかないからだ。

 にもかかわらず、理由を欲しがる。物語化したがる。そうしないと、逮捕という現実を肯定できないからだ。「事実」は、「物語」を通して、事後的に作られていく。

 手っ取り早い「理由」は、ヒットが出ないこと。表面的な数字、つまりCDの売上を追っていけば、“落ちぶれ”具合が客観的に描き出せるからだろう。しかし、われわれファンからすれば、どうもそれは的外れに思う。もちろんそういう意識は当然あっただろうが、ヒットを狙いに行くことのかっこ悪さを、2000年代初めごろには何度も語っていた。それは彼ゆえの強がりなのかもしれないが、それ以前に、CDの売上の低迷はC&Aに限った話ではなく、そもそもCDじたいが売れない時代に入っていたという社会的背景による影響のほうが大きい(日本のCDの売上は1998年をピークに右肩下がりになっている)。むしろ、C&Aはデビュー当時から、レコードセールスは伸びないのにライブの動員がすごいと業界内でも評判だったと聞く。それはヒット曲が出なくなった以降も同じである。そのことは、当サイトでも繰り返し伝えてきたとおりである。

 第二の「作曲」についても、彼のファンならよく知るとおり、否定できる。彼が苦悩していたのは「作曲」ではなく「作詞」のほうである。曲はすぐにできるが、歌詞に時間が掛かる。ここ15年ほどはとくにその傾向が強くなっている。彼もインタビューで答えているように、歌詞を書くのに時間を要し、深夜や明け方まで集中力を切らすことができない。そのために彼は「アンナカ」を使ったと言っているが、それがおそらく「アンナカ」ではない違法薬物であった可能性は、“事後的に”推測できる。

 そして、最も不可解な理由が、韓国公演の“失敗”である。これも韓国公演のあった2000年に行われたライブ<GOOD TIME>のMCで伝えられたとおり、虚偽の情報である。失敗とか成功とか、黒字とか赤字とか言う類いの話ではなく、そもそもあのライブは、大統領夫人の慈善団体が主催したライブであり、C&Aサイドが「興業」として行なったライブではない。直前までチケットの売れ行きが悪かったのは事実かもしれないが、アジア圏のライブでは前日や当日になって急に売れることもあり、韓国に至っては日本語が解禁されていなかったため、プロモーションもできていなかった。仮に客入りが悪かったとしても、損害をC&Aサイドが被るものではない。あくまでも「興業」ではないからだ。

 当時の所属事務所は「リアルキャスト」という名の会社だったが、この会社じたいが、ヤマハ音楽振興会の一事業部として存在していたような企業である。音楽振興会は財団法人のため、営利活動を積極的にできないことから、作られた事務所だと考えられる。このリアルキャストも参画して、2000年にはヤマハグループのレコード会社「ヤマハミュージックコミュニケーションズ」が創業している。当時、CHAGEもASKAも役員に名を連ねていた。この会社が軌道に乗ったことで、翌年、C&Aは円満にヤマハグループから独立している。独立のために統合された会社が、リアルキャストが合流した「ロックダム」(のちの「ロックダムアーティスツ」=現・所属事務所)である。

 内部事情は不明であるが、「韓国で失敗し、会社が倒産」というのは事実ではなく、仮に事実であったとしても、それと薬物を結びつけるのは、強引すぎるだろう。

 ファンからみれば、これらの“理由”は説得力に欠く。「SAY YES」「YAH YAH YAH」以降もちゃんと見てきたファンからすれば、それよりも「声が出なくなったこと」を原因に挙げるほうが説得的である。薬物によってそれが改善されるものかは分からないが、彼自身がずっと悩んできたことと言えば、まず思いつくのは「声」である。

 1999年の<電光石火>ツアーや<千年夜一夜ライブ>、その前のテレビ出演の映像などを見ても、声が出にくくなっているのが分かる。2000年の韓国ライブはそういうものを超えた気迫が感じられるのであるが、以降2002年から2003年ごろが最も苦しい感じで歌っている。しかし彼は、ずっと(2001年から2004年まで累計220公演以上)ライブをやり続けたことで、再び声が出るようになったと説明する。声帯の使い方を変えたとも言っている。確かに2007年の<DOUBLE>ツアーや<alive in live>の声の出方は半端ない。「SAY YES」などの頃の甲高い高音こそないものの、低音が響くようになり、厚みが増している。CHAGEのハモリとの調和も絶妙で、日本を代表するデュオに相応しいハーモニー(ぶつかり合い)になっている。当時まったくテレビに取り上げられることはなかったが。

 その後のソロ活動への専念(2009年、C&A活動休止)も、この「声」の復活が大きく影響しているようにも思える。ソロとしてやれるとこまでやってみたいと思えるようになるほどの声の復調があったからだと。歌詞のほうはその後もなかなか復調と呼べる状況にまで至らなかったようだが、2012年に発表した7年ぶりのソロアルバム『SCRAMBLE』は、第何期目かのASKAの代表作と言えるような出来であった。声も出まくり、詞の世界も壮大で、ソロの集大成と言うべきものだった。これを発表したことにより、いよいよC&Aの復活が来るというのも、それなりに納得できたものであった。ただ、残念なことに、テレビではその間の活動が取り上げられることもなく、2009年の解散騒動以後、今回の薬物報道を待つまで、ASKAが大きく注目されることはなかった。

 そうしたもどかしさをファンはずっと抱えてきた。それは「SAY YES」以前のファンならもっと大きいだろう。曲は良い、ライブも動員する、でもヒットは出ないし、さほど注目もされず、評価もされない。「解散」が騒がれるときだけ注目される妙なグループであり、それは「YAH YAH YAH」以降とて同じである。でも、今回、改めて聴いてみると「良い曲が多い」との評価が沸いている。こんなことがなければ注目されない、評価されないというのは、ファンとしては実に複雑である。

 何より残念なのは、今まさに注目され、評価がされているときに、曲を聞く手段が断たれることである。逮捕をもって一斉にCD・DVD・配信音源等の販売が中止となり、結果として転売屋が儲る事態に。残念な思いはさらに募るばかりである。(続く)
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