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小貫氏によるコラム

C&Aのインタビュー記事やライブレビューなどでお馴染みの小貫信昭氏のコラムが、『エンタメステーション』というサイトに掲載されています。

  「ASKAが最新作『Too many people』に注いだ集中力。そして音楽の神様のチカラ」
  https://entertainmentstation.jp/69122


内容は『Too many people』に関するもの。

自分も前回のブログ以降、こんなふうに1曲ずつレビューを書いてみようかと思ってみたものの、力不足で断念。1曲1曲にパワーがありすぎる。正直言って、全部通して聴くと疲れる…。別に歌詞やテーマや曲調が重いというわけではないのだけれど、ポップゆえにドッシリと来る。

小貫氏は最後に濁しているが、明らかに“チャゲアス”が意識された楽曲が「東京」以外にもいくつかある。

歌が運ぶメッセージは、ファンが一番受け取っていると思う。ソロを聴いて、これだけチャゲアスが感じられるアルバムは初めてだから。(とはいえ、チャゲアスらしさを裏切るのも「チャゲアスらしさ」であり、チャゲアスファンはそのこともまた期待しているところがある、という複雑性もある…。)

「次」までのあいだ、まだまだじっくりと丁寧に、このアルバムを聴き込んでいよう。

アルバム『Too many people』の感想

まだじっくり聴き込んだわけではないので、1曲ずつのレビューではなく、全体の印象という程度でしかないが、本日リリースされた『Too many people』の感想を書き残しておく。

キーワードは、「叫び」、「1990年代後半」、「再生」である。


一聴して感じたのは、「叫び」である。

明らかに「シャウト系」の楽曲や、語尾の「シャウト」が多い。歌い方のせいなのか、レコーディングの仕方によるものなのか分からないが、このアルバムの大きな特徴として聞こえる。

その「叫び」は、歌詞にも見て取れる。事件後最初のアルバムということで、どうしても歌詞に注目してしまう。そう読み込んでしまうからかもしれないが、やはり内面の心情吐露と受け取れるフレーズが目につく。何となく字足らずや字余りの歌詞が多く感じるが、ならされていないゴツゴツした歌詞が、余計にリアルさを増して伝わる。言わば、内なる「叫び」である。

それら、物理的な声の「叫び」と歌詞に込められた内面の「叫び」が何度も重なると、聴き手の心は徐々に揺さぶられていく。私たちはそこに、ASKAの「魂の叫び」を感じ取る。メロディに歌詞が乗るというより、詞が歌われているというような表題曲「Too many people」は、その代表ではないだろうか。


つづいて、「1990年代後半」。

これはファンの悪い癖であるが、聴き進めて行くと、「あの曲に似てるな」とか「あの頃の雰囲気がする」といった感想が自然と沸き起こる。今回は聞くまでの経緯から、とくにそう思って聴いてしまう節があった。

全体を通して、『NEVER END』以降の、チャゲアスとASKAソロを彷彿させるものがあった。アレンジや楽器の少なさのせいかもしれないが、『Code Name』1・2の削ぎ落としサウンドや、『ONE』の軽いポップさ、『kicks』の鋭角なロックが際立つサウンドを思い出させる楽曲が、多く感じられた。

いわゆる「全盛期」のようなキャッチーさこそないが、耳馴染みの良い「チャゲアスらしさ」のあるポップ感に、フォークっぽい肌触りもあり、歌謡曲っぽい収まりの良さもある、全体として「ASKA」を象徴するようなアルバムになっている。もちろん、懐かしさだけで終わらないのがASKAであり、期待通り、「新しいASKA」を見せてくれる楽曲もあった。これまた「Too many people」がその代表だが、「と、いう話さ」の歌い方などアルバム全体としても「新しさ」が随所に散りばめられていた感じがした。


三つ目のキーワードは「再生」である。

ASKA自身は、これを機に活動を再開するつもりではないと述べているが、「休止」状態から「再生」したことは確かである。明らかに「再生」(プレイ)ボタンは押されたわけである。

「再生ボタン」と言うと、私(たち)もまた「再生」を味わった。それは、CDを「再生」するという動作である。

よくレコードを経験した世代の人たちが使う、「レコードに針を落とす瞬間」という表現があるが、今や「CDを再生する」という行為も、そんなノスタルジックな要素を帯びたものになっているかもしれない。「アナログ感」とでも言えようか。もちろんCDもデジタル音源ではあるが、音楽配信が主流となった時代において、失われつつある感覚かもしれない。

CDをケースから取り出し、プレーヤーに入れて、再生ボタンを押す。歌詞カードに目を落とし、生唾を飲んで曲が始まるのを待つ。一瞬の沈黙と、そこに漂う緊張感。音楽配信では味わえないアナログ感である。この感覚を久々に「再生」(リプレイ)した気がした。

このアルバムは、ASKAの「生まれ変わる」出発点となるアルバムである。一度「死んだ」と言うと失礼だが、ファンの立場はそこまで落とされてしまった。ここから真の「再生」を期待したい。そうなるきっかけのアルバムになって欲しい。

そんなことを思いながら、もう一度CDを「再生」して、聴き込んでみようと思う。

報道をめぐる記事

NEWSポストセブン」掲載のオバタカズユキ氏の記事より引用


 あの日、異常だったのは「逮捕へ」と報じられてから、実際に捜査員がASKA宅に入った午後8時過ぎまで、なんと6時間も同容疑者が「泳がされていた」ことである。

  (中略)

 覚醒剤取締法違反で逮捕されたASKAはたしかに法を犯している。……でも、彼は誰かに危害を加えたわけではない。……要は、シャブをやって自分の心身を傷つけただけではないか。

 彼は、相当深刻な薬物依存症の状態にあり、一生つき合い続けるしかない病気の持ち主なのである。刑罰に処して治る病気ならどんどん重罰を課せばいいが、まったくもってそういうお話じゃない。

 マスコミは、アーチストとしてASKAには才能があったと必ず言う。だったら、警察とテレビ各局が結託して舞台設定したとしか思えない、あの6時間の見世物ショーがその才能をどれだけ痛めつけたか、自分らの鈍感な暴力性に1ミリでも気づいてほしい。



引用元:「まるで見世物小屋のASKA逮捕 テレビ局は常軌を逸していた」(NEWSポストセブン/2016.12.3)http://www.news-postseven.com/archives/20161203_471960.html

いつもの夏の“特別”な日 [Column]

 夏になると「熱風ライブ」が観たくなる。

 「威風堂々」をバックに登場し、「ひとり咲き」へとつながるオープニング。続く、熱唱系。骨太なバンドサウンドに、重なる力強い歌声。まさに、熱い喉が衝き叫ぶ。

 後半の「魅惑」「棘」から「Love Affair」「南十字星」と続く、“歌い倒す”セットリストは、たまらない。

 チャゲアスの魅力は数あれど、何よりこの、歌で圧倒させる、ライブ後半の熱唱の畳み掛けこそ、その最たるものである。

 NOT AT ALLツアーなら「HOTEL」「higher ground」「YAH YAH YAH」、THE LIVEなら「YAH YAH YAH」から「なぜに君は帰らない」「港に潜んだ潜水艇」、DOUBLEなら「GUYS」「Sea of Gray」から「YAH YAH YAH」、さらには「can do now」までの流れ。アコースティックのalive in liveでも、「One Day」「higher ground」「RED HILL」の流れは圧巻である。

 ASKAソロでも同じような構成が組まれるが、やはりC&Aのライブは特別だ。

 今改めて観て、強くそう思う。


 8.25――。

 C&Aファンにとっては、特別な日だ。自分の誕生日のように、気になる記念日である。

 今年はASKAのブログが、テレビのワイドショー系番組でも取り上げられ、話題となった。内容の“おかしな”様子がクスリによる後遺症といったイメージと絡めて取り上げられているが、とりわけユーモアたっぷりの“ぶっ飛んだ”文章は、ASKAの元々のイメージからも乖離があり、面白おかしく捉えられているようだ。ファンにとっては、ライブのMCなどを通してよく知っている、“元々”のASKAの姿が垣間見られるのだが。つくづくマスメディアによって、作られていく人たちなんだなと思う。

 とはいえ、われわれも、彼らを知ったのは、マスメディアがきっかけだった。いろんなファンのなり方があろうが、「SAY YES」に始まる、いわゆる“全盛期”に彼らを知った者にとって、マスメディアの存在は大きく、一方的に否定することはできない。たとえ当時、歌番組でほとんど「SAY YES」が歌われなかった(出演じたい、ほぼしていなかった)事実があったとしても。

 彼らはマスメディアの時代の人たちだった。「アーティスト」や「ミュージシャン」と呼ばれながらも、やはり“芸能人”だった。以前も書いたが、だからこそ、あれだけの騒ぎになった。他のアーティストやミュージシャンと呼ばれる人たちと比べても、やはり“特別”だった。

 と同時に、彼らはいち早くインターネットを取り入れた人たちでもあった。来たるべきインターネット時代を先取りし、日本人アーティストの中でも、最も早い時期に公式ホームページを開設している。それもロンドンを発信拠点として。それまでにも数々の先駆的な活動をしてきた彼らならではの動きであるが、そのことがファン以外にはあまりにも知られていない状況は、過去の類例に等しく、彼ららしい。今思えば、もっと早くに活動のベースをネットに移していても良かったのかもしれない。

 結果として、ASKAは、ブログというかたちでインターネットにおいて“活動”を始め、それがテレビやスポーツ紙といったマスメディアによって注目されることになった。ネット時代にマスメディアの時代の人が、ネットのことでマスメディアに取り上げられる、とは何とも皮肉なことではある。

 いろんな批評がなされるだろうが、ここはひとつ静観し、推移を見守っておきたい。一ファンとして。


 特別な日に、特別なことをせず、今まで通りの“特別”な彼らに、いつものように熱いまなざしを向けるのが、いつもの“特別”なファンの姿。

 さて、今日はどのライブ映像を観て、熱くなろうか。


 熱風吹き荒れる酷暑の2016年夏

ASKAに関する記事をめぐって

ASKAに関して下記のようなブログ記事がありましたので、引用のうえ、紹介しておきます。


週刊新潮1月28日号は、昨年5月に覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、9月に執行猶予付き判決が下された人気歌手、ASKAさんの入院について報じている。……(中略)……何気ない説明だが、隔離された場所にある事実を伝える背景に「私たちとは別の世界」という感覚がちらつく。

この記事は、国民的人気のあった者の凋落を「精神的な病気」になったことで落ち着かせようという雰囲気が漂う。精神的な病気の世界は、自分らとつながっていないというよそ者的な視点でとらえている。精神疾患は誰にでも発症の可能性があるし、心の「状態」の可能性のあるものだという視点はそこにはない。だから、記事は精神的な病を抱える者への蔑視につながる危険がある。

メディアは薬物の恐ろしさを伝える啓蒙活動と言うかもしれないが、かつて慕ったスターの、その立場とのギャップを利用している情報はセンセーショナリズムそのものであり、その報道が「啓蒙の思想」を伴っているとは言い難い。むしろ啓蒙が人格否定に変質しているのだ。

私たちは「非難」ではなく、「同情」した上でのケアの領域に心を投じられないか




引用元:
ニュース屋台村』 「清原容疑者の覚せい剤問題で浮かび上がる精神病院への偏見:『ジャーナリスティックなやさしい未来』第68回」 http://www.newsyataimura.com/?p=5149

C&Aの楽曲入りCD、ついに解禁!

2014年5月19日以降、CHAGE and ASKAの作品は、シングル、アルバム、DVD、Blu-rayともに、すべて販売が中止されている。

同年7月に発売されたスタジオジブリのBlu-ray BOX『宮崎駿作品集』でも、CHAGE and ASKAの楽曲「On Your Mark」をテーマにした短編映画作品『On Your Mark』の収録は見送られた。その後、ジブリは、購入者特典として「On Your Mark」を収録したディスクを「無料配布」するという異例の措置をとった。ジブリが可能な限りファンの期待に応えようと考え抜いた末の最善策であり、「大人」のまっとうな対応であった。

そして、そのジブリが、今度は正式に、CHAGE and ASKAの楽曲をCDに収録し、発売することを決めた!

それが次の2作品!(三つめは、セット版・特典付)

・CD 『スタジオジブリの歌 -増補盤-』

・CD 『スタジオジブリの歌オルゴール -増補盤-』

・CD 『スタジオジブリの歌 -増補盤-』+『スタジオジブリの歌オルゴール -増補盤-』(スタジオジブリ復刻チラシ24枚セット+スタジオジブリ特製ポスター付)

 *いずれも15曲目に「On Your Mark」を収録。

実にそうそうたるアーティストのそうそうたる楽曲と並んで、何の疑いもなく、至極“普通”に、われらがCHAGE and ASKAの楽曲が収録されている! 改めて考えれば、何てことはない、“普通”のことなのに、未だまったく販売されていないという“異常”な状態ゆえ、これが“特別”に思えてしまう不思議。

それも、「On Your Mark」。奇しくも、CHAGE and ASKA復活ライブのタイトルでもあり、「位置について」の意味を持つ楽曲。この後に続いて、再び「スタート」の号砲が鳴り響くことを、ファンは何より期待する。あの日以前の、当たり前の日常に戻るために。

CDは2015年11月25日発売とのこと。

Chageインタビュー

NACK5 「田家秀樹J-POP TALKIN'」出演時のChageインタビューが、ノーカット版「ポッドキャスト」として公開中。

C&Aのインタビューを最も多く行なってきた田家氏ならではの、約40分にわたる“濃い”インタビューになっています。

ダイレクトリンクは↓
http://www.fm795.com/podcasting/jpop/audio/jpop151003.mp3

C&A 36周年!だから…Chageの18曲 [Column]

2015年8月25日、九州に大型台風上陸か?!

そんな本日は、CHAGE and ASKA デビュー36周年!

ということで、特別企画・Chageの18曲!

普通なら「36」にちなんでC&Aの36曲を選ぶ、となるところを、ここはあえて…Chageの18曲を選曲!残りの18曲は、選ばずに置いておく。私たちはあくまでも“C&Aファン”なので。

ということで、今や手に入らなくなったC&A名義の曲を中心に、Chageに今改めて歌い直して“手に取れる楽曲”にして欲しい曲。そんな想いで、Chageの楽曲をよく知らない人にも入門的な、“これぞChage”という代表的な18曲を順不同に並べてみた。

 終章(エピローグ) ※
 ロマンシングヤード ※
 NとLの野球
 SOME DAY ※
 告白 ※
 CATCH&RELEASE
 CRIMSON
 ベンチ
 夏の終わり
 vision
 夢の飛礫
 夢
 港に潜んだ潜水艇
 今日は…こんなに元気です
 君はなにも知らないまま
 嘘 ※
 Here&There
 Wasting Time

…とC&Aの名義の曲で割とメジャーな曲・ソロでも歌ってる曲を中心に選んでいくと、早くも18曲を超えてしまった…。

(※はChage名義で再収録され入手可能な楽曲。逆に言うと、※のない曲は入手不能)

他にも「two of us」とか「ふたりなら」とか「ボクラのカケラ」とか、今だからこそ歌って欲しいキーワードの入った楽曲もいろいろあって、どれも捨てがたいというのが正直なところ。『DOUBLE』収録のCHAGE曲なんて、全部挙げたいぐらい。

アジアンレストランにて」とか「swear」とかマイナーロックの曲も個人的に好みで、「Wasting Time」はごり押しで入れた。

セルフカバーのおかげで日の目を浴びた曲も、結果として“お蔵入り”になってしまっているので、楽曲たちのためにも、もう一度録り直して、聴ける状態にして欲しい。(それが最良の方法とは思わないけれども、それが手に取る機会を与える現状でのベストな選択なら、そうして欲しい。現状では、せっかくChageを知ろうと思っても聞けない曲が多数あるので)

…というC&Aのファンの声を分かっているのか、そうせざるを得ないのか、ちょうど今度発売されるChageのミニアルバム『hurray!』には、90年代のライブではおなじみの「ロマンシングヤード」がセルフカバーされて収録されている!

この調子で、ぜひ他の楽曲も! 『12』のChage版を!

ということで、今回は36周年にあわせて、Chageを代表する18曲を選曲。初期の頃の曲やソロやマルチも入れたら、Chageだけで36曲選べそうだけど、ここはあえてもう一人分を残して…Chageの18曲。

こんな日にあわせるように、日本には“ダブル台風”が接近。

私たちのもとに奴等が“上陸”する日を、密かに待ちながら。

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いま改めて――広がる音楽的評価 [Column]

 ASKAの逮捕からもうすぐ8ヵ月が経とうとしている。彼を信じていたファンは奈落の底に突き落とされた気分で、絶望を味わったことだろうが、ファンから少し離れたところでは、徐々に彼らの楽曲に対する冷静な評価がされるようになってきている。良くも悪くも、騒動になり、注目されたことで、彼らの楽曲にも目を向けられることになった。ラジオ等を通しても、現役のミュージシャンが玄人目線で評価するようになってきている。そのことはこのブログでも随時紹介しているとおりである。

 何とも皮肉なことであるが、CHAGE and ASKAの楽曲は、今まであまり真っ当な音楽的評価に晒されてこなかった。その理由はいくつかあるが、少なくともASKAの逮捕・起訴によって、彼らに与えられていた特異な“イメージ”が解かれ、ある意味で純粋に“音楽”として聴かれるようになったわけである。

 楽曲の良さはもとより、コード進行や曲の構成、アレンジ等の先進性や、楽器の選択や歌唱法等の細部に至るまでのこだわり、あるいは制作サイドから見える野心などが、“音楽的に”評価されるようになった。実際、先に紹介したラジオでは、「SAY YES」などの大ヒット曲も、一楽曲として、その複雑なコード進行などが分析的な視点で評価されている。

 そんな状況にファンは喜びを得るが、一方で疑問もわき起こる。なぜC&Aの楽曲は、十分な音楽的評価をされこなかったのだろうか、と。その答えの一つとして考えられるのが、彼らも一時期インタビュー等で発言していた「イメージのダメージ」であろう。「SAY YES」「YAH YAH YAH」で大ヒットしてしまったがゆえの宿命とも言える。

 「SAY YES」の発売当時は、テレビにはほとんど出演していなかったが、“イメージ”の中では「テレビの人」となってしまい、それ以前にも「夜のヒットスタジオ」等でアイドル歌手と並んで歌っていた“イメージ”から、「芸能人」として扱われることとなる。昨年あれだけワイドショーが騒いだのも、ASKAが「ミュージシャン」ではなく、「芸能人」だったからだろう。(同じ「ミュージシャン」の岡村靖幸は、「ミュージシャン」以上の扱いはされないため、そこまで騒がれず、今もなお音楽的に高く評価されている。)

 「芸能人」ゆえに、バンドブーム以降のテレビに出ないタイプの“ミュージシャン”からは、あまり好かれず、音楽的な評価はされない。ユニコーンや斉藤和義、あるいはクドカンらが、逮捕時にライブでASKAを茶化したのも、そういった背景があってのものだろう。

 もちろん大ヒットにより大衆的な人気を得てしまったことも大きい。音楽性が少しでも変わるとファンは離れてしまう。結果的に、いわゆる「全盛期」以降の楽曲はあまり知られていない状態になっている。とりわけC&Aの場合は、意識的に異なるタイプの楽曲に移行していった。それを善しとするファンのみが、残ることとなったわけである。

 ただ、そのファンも、大衆的なヒット曲を入口にしたファンが多く、音楽に精通しているわけではない。「C&Aが好き」という理由でファンを続ける人が大半を占める。それゆえ、音楽的な評価をする「言語」を持たず、ローカルな場面(ファンコミュニティ)でもそれを展開することはできなかった。

 にもかかわらず、C&Aは変わり続け、新しいものを生み出し続ける。音楽的なこだわりもさらに強くなり、過去のヒット曲のおかげで経済的にも余裕のある環境で楽曲制作を行うことから、質は決して落ちない。十分音楽的に評価されるに値する楽曲を世に放ちながら、大衆的にも音楽通にも注目されず、ファンも自分たちの言語で音楽を語れないもどかしさを抱えながら、彼らを信じてファンを続けてきた。

 そして、あの一件。打ちひしがれた感にあるなかで、ようやくいまになって音楽的な評価がされ始める。実に皮肉である。

 先のラジオにもあった“ぶっ飛んでる”という表現には多少の嘲笑も含まれてはいるが、それを差し引いてもなお、ミュージシャンとしての楽曲に対する純粋なリスペクトがうかがえる。やはり楽曲は依然として一目置いた存在なのである。

 「楽曲に罪はない」どころか、ASKAの楽曲は実に罪深い。もっと質の低い楽曲なら、あの一件で葬り去られているはずなのに。あんなことをした。それでもなお評価せざるを得ない――。そんな楽曲を残した罪は非常に重い。彼には、もう一度、ファンにも玄人にも大衆にも評価されるような、質の高い楽曲を作る使命がある。それが彼のなすべき罪の償いだろう。

 依然楽曲の流通が制限されたなかで、今後もこの「楽曲への再評価」の動きが広がることを期待して稿を閉じる。

ラジオで再評価 Vol.2

昨年12月のラジオ日本「マキタスポーツラジオはたらくおじさん」という番組で、C&Aの楽曲を“音楽的に”再評価する特集が組まれ、その音源がネットで聞けるようになっています。C&Aファンなら誰もが知っているような内容ながら、ファン以外にはほとんど知られていないC&Aの魅力が、丁寧に語られています。「楽曲に罪はない」とのスタンスによる再評価の動きの一つとして紹介しておきます。

■ブログ
マキタスポーツラジオはたらくおじさんポッドキャスト#194
http://blog.jorf.co.jp/makita1422/2014/12/194-c159.html

(ポッドキャスト直接リンク)
http://media.jorf.co.jp/podcast/makitasports/makita_194.mp3
 C&A特集は8:00ごろからです。


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